素敵なアホになりたい

人生アホして楽しんだもん勝ち。

食べることが苦手だった小学生時代

好きだった給食メニュー!丁度つい3日前くらいに夫に熱く語ったばかりのお題に心惹かれてしまった。

 

私の大好物だったメニューは、「高野豆腐のから揚げ」というものだった。

王道の揚げパンやカレーはもちろん好きだったが、

鶏や魚を揚げた派手なものではなく、高野豆腐のから揚げ、フライ。

名前も地味でメインになり切れないこの高野豆腐のから揚げというものが、なんとも素朴で優しく、でも揚げているからちょっとばかりのパンチが効いていて大好きだった。

高野豆腐が程よく油を吸ってじゅわっとした触感がたまらなかったなあ。

 

小学生の私はとても少食だった。

今はそんなことする先生は絶滅しているかもしれないが、当時は給食食べ切れるまで帰れま10(てん)みたいなことをする先生がちらほらいた。

私の担任もその様な考えの先生が多く

時折、お昼休憩が終わり、お掃除が始まっても食べ切れず、泣きながら席でご飯を食べ続けていた。

すると、食べることが恐怖になり、家でもご飯を食べられなくなる。

成長真っ盛りの小学生時代に、学期ごとの健康診断で前期より体重が減ってしまい生活指導が入るなんてこともあった。

 

食事なんか、強制されて食べるもんちゃうよなあ。楽しむもんやのになあ。。

 

 

お題に戻るが、高野豆腐のから揚げ、大好きすぎて家でも作ってもらったりしていた。

20年ぶりくらいに食べたいなあ。うちで再現してみるか。

 

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うつ夫⑤寛解から完治

社会復帰し、断薬した夫はその後も休職することなく仕事を続け、いわゆる寛解状態になった。

そしてその後もうつ状態になることは一切なく、復職後の異動先での業務内容が彼の性格に大変合っていたこともあり、機嫌よく働くことができている。

 

 

 

約1年間の闘病生活、うつ病にしては短いのかな?平均を知らないが、私たちにとっては大変長く、苦行とさえ感じることもあった。

 

うつ病患者の彼女であった私目線から言うと、付き合って半年で彼氏がうつ病になり、親に何度必死に説明しても「ダメ」の一点張りで、話すら聞いてもらえない挙句

こっそりと同棲を開始してしまう程の価値が彼との生活にあったのか?

その答えは、今ならYesと言える。

当時は何度も悩んだ。何度も別れを考えた。

でも、なぜかそんな彼と結婚してしまった。

私が彼と結婚したい、できる!と思えたのは、何と言ってもあの辛い闘病生活を一緒に乗り越えられたからなのである。

そりゃあ辛いことも沢山あった。でも、そんな日々もアホみたいなことで笑いつつ、なんやかんやで一緒に楽しめたのであれば

これからの人生は何が起こっても、なんとなくゆる~く楽しめるんちゃうかなと。

謎の自信で満ち溢れていた。

 

現在結婚2年目。

予想通り、毎日楽しく過ごせている。

今でもしょっちゅうあの頃=うつ病生活の話をよくするが、あん時しんどかったな~ハハハ、と笑い話にできている。

結果論かもしれないが、私たちにとってうつ病生活は必須だった。

 

人生、なるようになる。とにかく焦らずゆっくり生きることが一番大切。

うつ夫④2回目の復帰から断薬

<本日の記事のまとめ>

うつ病の特効薬は、焦らないこと。あと日光浴。

 

☆☆☆

 

2回目の休職期間に入った彼は、もう休職のプロになっていた。

無期限でお休みできる。もう焦る必要なんかない。

そんな気持ちでのーんびりと毎日を過ごしていた。

1回目の休職期間は1ヶ月だったのに対し、2回目は約半年間お休みしていた。

朝は私と共に起床し、私の出社に合わせてお散歩に出かける。

お散歩しながらポケモンGOをたしなみ、ついでに日光浴もしちゃう。

帰って体調が良ければゲームで遊び、しんどい時は眠る。

気が向いたら家事もやっちゃう。

休職中の彼のルーティンはこんな感じ。

 

同棲していた私にとっても、家事をしてくれるのはとても有難かった。

初期の頃、ほんとにしんどくて体が動かなかっただろうに

そんな理解を持ち合わせていない私は、彼に相当ぶつかっていた。

何で毎日家にいるのに家事もできんの?って。

今となってはその言動が恥ずかしい。

あの頃は家事をこなすパワーもなかったことを知ったのは、彼が家事をできるようになってから。

理解できるようになって、理解できるまで一緒に居られて良かった、としみじみ。

 

彼が半年の休職中、私はほどほどに仕事を楽しんでいた。

3年目にも入ると仕事に慣れてきて、抜くところは力を抜きつつ毎日を過ごしていた。

海外出張に行っては旅行のように楽しんでいた。

出張すると私は1週間ほど家を空けるので、その間彼は自宅で愛ハムとの時間を楽しんでいた。

愛ハムには支えてもらいまくりだったなあ。。。

 

休職中、毎朝の日光浴習慣が功を奏したのか、睡眠薬を断つことができた。

そしてついにとうとう、復職できるんちゃうか?ってところまで体調が回復した。

その頃、コロナが大流行して世界中が大混乱していた。

我々の働く会社は在宅ワークやフレックスなどの対応が遅れている古い会社だったが、

そんなん言ってられない状況に陥ってしまい、渋々制度が導入された。

この在宅ワークとフレックスに、彼は大変助けられた。

まず、1回目の復帰の際は初めからフルタイムで働き始めていたが

今回はフレックスを上手いこと活用し、午前のみ→6時間→フルと

徐々に勤務時間を延ばす形をとることが出来た。

また、緊急事態宣言が出ていた時は、在宅推奨だった。お陰で体力を大いに消費する通勤時間を削り、また復職時にネックとなる人との関わりを最小限にすることができた。

 

そんなこんなでコロナを追い風に彼の2回目の復帰は大成功した。

体調もいい日が続き、ついに全ての薬から断つことが出来た。

私が隣で見ている限り、断薬はそんなに大変そうではなかった。

ただ、今思えばうつ病になったらすぐ薬を服用するのではなく、

まずは仕事を完全に休み、しっかり体を休めて様子を見て、それでも駄目なら薬に手を出してみてもよかったのかもしれない。

薬には少なくとも依存性があるし、結局対処法に過ぎないのではないか?

うつ病の特効薬は、なんと言っても心身を休めること。

それが本当に大事だと思う。

 

 

 

 

うつ夫③1回目の復帰から2回目の休職

前回の更新から1年以上も経ってしまったが、この1年間で色んなことが起こり、忘れぬうちに残しておきたい!という気持ちが膨らんできたので、ブログを再開する。

まずはうつ夫の記録を書き終わらせよう。

 

<本日の記事のまとめ>

焦って復職したらあかん。すごろくは簡単にスタートに戻る。

でも、そんなん経験してみな分らんよね。

⭐︎⭐︎⭐︎

長期の休職に入った夫の毎日は、まさに定年退職後に暇を持て余した老人のそれそのものだった。

毎朝私の出勤に合わせて起床はするものの、その後はだらだら、だらだら。

とにかくだらだら。

今、彼にあの頃何してたん?って聞いてみても

「ほんまに思い出せん…。」

まあでも、今だから言えるのは、うつ病の人にはこの「何もしない」時間がめちゃくちゃ大切で、この時間があったからこそ頭と心、そして体をすっきりさせることが出来ていたに違いない。

彼はだらだら期間にたんまりと眠り、動ける日はゲームをたしむ等、ある程度お休みを満喫していた。

あと、うつ病の原因はセロトニン不足であるという情報をゲットしてから

毎朝必ず朝日を浴びるようになった。

日光浴の効果はほんとに敵面で、体調のいい日が増えていった。

その結果、なんとなくうつから回復した気になっていった。ただそんな気に。

うつ病に無知な私も「最近調子いいんちゃう?」みたいなことを言っていたと思う。

 

そんなこんなで回復したと錯覚した彼は、休職からわずか1か月で復職してしまった。

してしまった、ということはつまり、うまくいかなかったということ。

とりあえず、2ヶ月間は騙し騙しで出社していた。

うつ病発症当初は痩せこけていった彼だが、お休みに入ってからは運動不足と昼食のラーメン三昧な日々のせいで15キロの増量に成功していた。

元からガリガリ体型でなかった彼なので、おなかの丸いテディベアのような、鏡餅のような体型になってしまった。

私がデブデブ言い過ぎたせいで傷心した彼は(振り返るとただでさえうつ病完治してないのによくもずけずけと酷いこと言うてたな私・・・)

復職と同時期にジムに入会した。

まあでも、心が完全に復活してないのに運動もするなんて無理よね。。

ほどなくしてジムを退会し、そして仕事も2回目の休職期間に入った。

 

 

彼は2回も休職してしまったことで自己嫌悪に陥っていたし、ずっとそばで見ている私も「なんでもっと支えられんかったんかな。」と後悔していた。

でも、彼は初めてのうつ病だし、私も初めてうつ病患者と関わったばかりの当時。

最初から最善を尽くせるわけがないよね。

結局、人は自分で経験していってこそ、何にどう対応していくべきかを学んでいく。

ほんまに、失敗は成功の基なんです。

うつ夫②発症後から1回目の休職まで

ある時、私が海外出張中に、彼からLINEで「精神科でうつの初期って診断された」と連絡があった。

仕事がしんどいと言ってはいたが、まさか病院に行くほど辛かったとは…

話を聞きたいのに電話は繋がらない。かと言って、すぐに帰れる距離にいない。

何も気付いてあげられず、無力な自分に涙した。

 

私の性格は、思い立ったらすぐ行動するタイプ。

帰国したら、とにかく同棲を始めて彼を支えようと心に決めた。

正直、うつ病に関して無知な私はうつ病=自殺 と連想してしまっていて、それが怖かったから。

まだ交際期間も短いし、別に結婚の事を深く考えてなかった。

 

一緒に住み始めると、彼の生活リズムが崩れていくのが目に見えた。

まず、食が細くなった。

次に、夜寝れないことが増えた。夜中苦しすぎて私を起こすこともちらほら。

寝れないからお酒に頼る、を繰り返したせいで、飲酒量がとんでもない事になった。

休肝日無しで毎日晩酌。そのせいで逆流性食道炎になった。

 

元気だった彼はどこに行ったのやら、どんどん弱っていく姿を見るのは本当に辛かった。

会社は行けそうな日は行って、でも出勤中に気分悪くなり、保健室や会議室で仮眠をとったり。

行けそうにない日は休んで、家で一日中寝てた。

休みの日を1日、3日間、と少しずつ延ばし、発症から2ヶ月後、ようやく長期の休職に入った。

 

そういえば、一緒に住み始めてから間もなく、アニマルテラピーの一環と、彼の夜の遊び相手(笑)としてハムスターをお迎えした。

ハムスターは夜行性なので、夜中に動きまくる。

夜眠れない彼の、最高の癒し+心の拠り所になってくれた!

ハムスターは今も健在で、私たちの最愛の家族の一員。

 

うつ夫①発症前の様子

<本日の記事のまとめ>

うつ病になる前の夫は昇進欲求の塊だったが、診断される直前は不眠症になり、休日もしんどそう。辛さを訴えて時々泣いてた。

⭐︎⭐︎⭐︎

私と夫が付き合い始めたのは、お互い新入社員で配属が決まる直前。

当時はグループワークやプレゼン発表で大活躍だった彼。頼りがいがあってカッコよく見えたなあ。

数日後、私は海外出張三昧のグループでに配属された。

彼は花形かつ残業三昧のグループに配属され、昇進意欲にあふれていた。

私が海外出張をエンジョイしまくっている中、彼は慣れない業務、何も教えてくれない先輩に心身を削られていった。

配属から半年経った頃、彼は眠れないと訴えてきたり、仕事が辛いと泣きつくようになった。

完璧主義者な人なので、弱みを見せてくることが意外だったし、うつ病の知識が全くない私は「信頼してくれてるんや…嬉しい!」と喜んでさえいた。。

今では、あの時早く気付いていれば、、、と思うこともあったりする。

夫がうつ病だった話⓪

ブログには自分の書きたい事を書く。

 

タイトル通り、夫はうつ病だった。

今はもう完治してるが、当初は大変の一言では終われないくらい、大変だった。

折角なので、記憶が消えないうちに文字にしよう。(私は日記をつけているけど!)

 

だらだら書くのは嫌なので、5部構成くらいにしようかな。

①発症前の夫の様子

うつ病発症 1回目の休職

③1回目の復帰から2回目の休職

④2回目の復帰から断薬

寛解から完治

 

5部を要約すると、うつ病の特効薬は2つ。

動きたくなるまで休みまくって、太陽光を浴びまくること。

そして、焦らない。

 

ぼちぼち書いていきます。